
FtMト-ランスジェンダーのたかしさんは、子どもの頃から自分が治療し、男性として生活できると思わず、女性として働く想像が全くできなかったそうです。ですが4年ほど続けたYouTube活動から動画の仕事に興味を持ち、夢をもつことができました。
LGBTでも楽しく生きられる、と発信を続けるたかしさんにお話を伺いました。
セクシュアリティについて
FTMトランスジェンダーです。自分が表現したい生き方や在り方に、社会が「男性」と名前をつけているので、「自分は男性なんだな」と思って生きています。
幼い項は「戦いごっこ」や「バトルカードゲーム」が大好きで、男友違ばかりと遊んでいました。でも両親や幼雅園の先生など、周りの大人から「あなたは女の子なの」と言われていたので、自分は「女の子」なんだと認識していました。
しかし、小学2年生のとき、ドラマ「3年B組金八先生」をみて、「性同一性障害」や「LGBT」という言葉を知りました。そして 上戸彩さんが演じていたFTMトランスジェンダー役の心情が、自分が性別に対して抱えていたモヤモヤと重なる点が多く「自分もトランスジェンダーかもしれない」と思ったことが自認のきっかけです。
ただ、ドラマでは、トランスジェンダーの生徒がセクシュアリティをカミングアウトするとクラスメイトからいじめられたり、家族仲が悪くなったりするシーンがありました。それを見て、「自分もトランスジェンダーかもしれない」と思いながらも カミングアウトをしたら自分もドラマのように、身近な人たちとの関係性が悪くなるかもしれないと考えると怖くて、自分の気持ちを誰かに打ち明けることはできませんでした。
カミングアウトについて
初めてのカミングアウトは、高校3年のとき、仲の良いクラスメイトでした。その子が想像以上にすんなりと受け止めてくれたので、今までひとりで抱えていたものから一気に解放された気がしました。それから仲の良い友達にはどんどんカミングアウトして 少しずつ「本当の自分」らしく生活できるようになりました。
母には20歳のときにカミングアウトをしました。母の誕生日にセクシュアリティについて綴った手紙を書いて、それを母のテーブルに置いて学校に行きました。いつ母か手紙に気づくかなと考えると、全く授業に集中できませんでした。そして帰宅すると、母が僕の部屋に来て「手紙ありがとう。なんとなく察してた。受け入れるにはもう少し時間が欲しい。」と言われました。時には「いつか治るんじゃないの?」と言われたこともありましたが、関係性はカミングアウトする前と変わらず、悪くなることはありませんでした。時間が経つにつれて母もだんだんと理解してくれて、男性ホルモン治療や乳線摘出手術をするときも応援してくれました。
最近ひとり暮らしを始めたのでずが、荷物の宛名には改名した名前を使ってくれて、僕の意思を尊重してくれていますし、良好な関係を築けていますね。
今の理場ではセクシュアリティをオープンに働いています。「オープンに」と言っても、仕事に性別は関係ありません。上司も同僚も、僕という「人」として接してくれます。セクシュアリティを隠していると、何気ない会話でウソをつかなくてはいけない瞬間がありますが、その必要がありません。自分のありのままを伝えている相手とは信頼関係も築きやすく 仕事のパフォーマンスも上がるし、ストレスなく、楽しく働けています。


バックパッカーで25カ国を巡る
大学4年のとき就職活動をしていましたが、特にやりたい仕事がありませんでした。当時の僕はホルモン治療で見た目は男性化していたものの、戸籍が女性のまま変わっていなかったので、面接でのカミングアウトは必須でした。毎回面接でカミングアウトをするのは負担で 精神的に疲れましたね。いったん仕事を抜きにして本当に「やりたいこと」はなんだろうと改めて考えたとき、ふと思ったのが「世界一周」でした。そうと決まれば行動は早い方なので、就職活動は辞めて卒業までひたすらバイトして資金調違していました。
そして卒業と同時に、バックパック2つと片道航空券を持って日本を飛び出しました。目的地は特に決めていなかったので 現地で出会った人におすすめの国を聞いてそこへ行ったり、たまたまSNSで見た結麗な景色の場所を探して行ったり、自由気ままな旅です。
ときには1人で7時間かけてトレッキングしたり、その道中で犬に追いかけられて坂道から転げ落ちたり、そういう経験も思い出深いです。毎日が新鮮で、とても刺激的でした。今は新型コロナウイルスの影響で気軽に海外へ行けない世の中になってしまって、あのとき行動して本当に良かったと思います。やりたいと思ったときにやりたいことをやる大切さを、今ひしひと感じています。
バックパッカーで25カ国を巡る
僕は子どもの頃、将来の夢をもつことができませんでした。自分が治療して男性として生きることも女性として生きて働くことも全く想像ができなかったからです。だから「将来の夢」以前に、自分が大人になることも想像もできなかったですね。
学生時代から5年ほどYouTubeに動画投稿をしていますが、こんなに長く何かを続けられたことは初めてです。動画1本つくるのに、企画·撮影·編集で 中には50時間以上かかるものもあります。でも僕はそれを続けられるほど好きなんだなって最近気付くことができて 動画制作や動画マーケティングに関わる仕事がしたいと思い、最近転職しました。
僕が今働いていてる会社では、企業のYouTubeチャンネルの運用、動画制作と地域メディアの運宮をしています。創業期の会社で 社員もまだ4人。即戦力が欲しい中で採用してもらえたので、会社の想いに答えたいでずね。また転職したばかりでずが、はやく仕事を覚えて結果を出せる人材になるのが今の夢です。
バックパッカーで25カ国を巡る
僕はありがたいことに恵まれていて、カミングアウトをして否定的な竟見だったり、身近な人と縁が切れたりしたことは今までありません。だからよく「LGBT当事者としてつらい経験はありましたか?」と質問されますが、特段と言えることがありません。実際はつらいこともあったのかもしれませんが、今では覚えていないくらい些細なことだったのかもしれません。
もちろんセクシュアリティや性別のことで、きっと多くの人よりは悩んできたと思います。ただ、LGBT当事者以外の人も、家族のことや病気のことなど、 色々なことで悩んでいる人がいて、その中で「僕の悩みはセクシュアリティや性についてだった。」そう思っています。だからLGBTだから、FTMだから特別「つらい」ということではないと僕は思います。
僕はFTMでずが、楽しい人生を送っています。だからこそ「LGBTでも楽しく生きている人間がいる·LGBTでも楽しく生きれる」と発信していきたいです。
たかしさんから一言
みんな楽しく生きましょー!



2022年2月発行雨あがり8号「夢」掲載