雨あがり

辛い思い出ばかりの告白を乗り越えて【ROKUJOさん】

女性限定で入れるバー・urueで雨あがりスタッフがお会いしたROKUJOさんは、当たると評判のタロット占いをしている方です。しかし本業の事務の職場や、家族の皆さんはセクシュアルマイノリティに理解がなく、バーに行くまで居場所がない思いをされてきました。勇気を出して好きな人に告白をするたび何度も傷つけられ、それでも前を向いてライターを目指すROKUJOさんにお話を伺いしました。

セクシュアリティを自認したきっかけ

初恋は幼馴染の双子の姉妹で、両方を好きになったんです。いつも姉妹で行動していたから、「この姉妹は2人で1人なんだ」と思っていました。私が生まれてくる前に死んだ姉がいて、「姉がいたら、きっとこんな人だ!」と妄想していましたね。中学でも仲良くしてもらっていましたが、姉妹は後輩に人気で、仲のいい私には嫌がらせがありました。そこに私の性格も加わり、自分に自信が持てず、嫉妬や不安を覚えるようになって、そこで「この姉妹が、同性が、好きなんだ」と気づきました。
私が中学2年の時、また別の女の子を好きになりました。頑張って初告白をしたけれど、フラれ、面白がられて周囲にばらされてしまいました。気持ち悪いと言われて、とてもショックでしたね。人を信用できなくなり、自分は異質で、存在してはいけない気がした。もう二度と、自分の気持ちを他人に伝えることはやめようと思いましたし、友達にも壁を作るようになりました。

ROKUJOさんにとってのセクシュアリティ

孤独で絶望感しかなかったです。高校は女子高で女子同士で付き合っている人もいたけれど、私はトラウマでカミングアウトする勇気もでませんでした。そのカップルたちは大体大学生になる頃には破局し、男性と付き合うようになりました。男性を好きになれない、変われない自分を認めるのが怖かったです(「中学生位は同性を好きになることもある。年齢を重ねれば、普通に戻る」と、何かに書いてあったから信じていた)。まれにメディアに流れてくる同性同士で結婚・交際している人も遠い世界の事でした。同性愛者の自分に幸せなんて来ないと思っていましたね。また、メディアに流れてくるゲイバーやビアンバーは派手で怖いイメージがあり、新宿2丁目には行けなかったです。そもそも2丁目に行ってセクシュアリティを自認するのが怖かったんです。
大学生位になると、飲み会の話題は恋愛の話が多く、当時は好きだった女性の性別を男性に変えて話していました。だから恋愛トークがは苦痛でしかなかったです。その好きだった女性は「ROKUJOが男なら好きに
なってた」と冗談を言いながら、男性との交際報告をしてきました。普通の恋愛なら、失恋も人に話してなぐさめてもらえるのに、私はそれができず辛かったです。
社会人になって、特発性血小板減少性紫斑症という血が止まらなくなる病を発症し、将来への不安から男性と付き合いました。一緒に生活するだけなら問題はないですが、セックスは吐き気がしました。「同性愛は生産性がない」と国会議員が言ったニュースをみて、本心を隠して、愛する恋人もできずに人生を終えるかもしれない自分は、その発言の通りだと当時は思いました。

レズ風俗に行ったきっかけ

辛い失恋も重なり、死のうと思った時があったんです。当時好きだった女性とドライブに行った山で首を吊ろうと思い、ロープを買って行き方を調べている内に悲しくなり、「最後くらいいい思いをしよう」と、レズ風俗(永田カビさん著『さびしすぎてレズ風俗に行きました』でその存在は知っていた)を検索し、一番上に出てきたお店を予約しました。そのお店は対話重視型で、キャストのお姉さんにセクシュアリティ、失恋、男性と付き合っても辛くなること、居場所がないことなどを、泣きながら打ち明けました。頑張ったねと抱きしめてもらえて「もうちょっと生きてみよう」と思いました。その後付き合っていた男性と別れ、レズビアンだとわかったので気持ちが楽になりましたね。
今はレズ風俗のレポをSNSに掲載していて、色々な感想をいただけて嬉しいです。

カミングアウトは難しい環境

カミングアウトは出来る環境の人だけすればいいと思います。私の実家は田舎で、セクシュアリティへの理解はないです。母はおかまキャラの芸能人にも「この人たちは頭がおかしい」と断言するような人です。絶対に私がレズビアンだとは知られたくないですね。
また職場も古い体質で、セクシュアルマイノリティを馬鹿にしたり、いじめたりする人もいて、職場でもカミングアウトはしようと思わないです。女性は早く結婚することが幸せという考えも未だにあり、お見合いを勧められることもあります。今は交際を解消しても出て行かない元カレと住んでいるので、「実家が厳しくて結婚できない」と職場には話しています。男女カップルを偽るという形は、一番社会に受け入れられて簡単ですね。
ただ誰にも本当のことを話せない環境は苦しい。バーに通う、話せる相手を見つけるなど、少しでも安全な居場所があると楽だと思います。そんな居場所を見つけることは大変で、情報も少ないように感じています。私は居場所を見つけることができましたが、できないで苦しむ人もいると思います。

当たると評判の占い

女子高時代、クラスカーストについていけず、友達作りにもうんざりしていました。当時、私の家は厳しくお小遣いが貰えませんでした。そこで始めたのが占いです。タロット占いを選んだのは、見た目がいかにも占いっぽく、話題性がありそうだったから。知り合いでタロットを使える人がいたので、弟子にしてもらい、特訓しました。そこから当たると話題になり、昼食をとる時間すらない程にお客がきました。お菓子を貰ったり、放課後の付き合いは奢ってもらうようになり、当初の狙いは当たりました。占いは今も続けていて、urueというバーで占いのイベントも開催しています。urueで過ごす時間は、今一番大切にしている時間ですね。

辛い思い出ばかりの告白を乗り越えて

人生で3回、告白をしました。1度目は中学2年生。フラれ、バラされ散々でした。2度目は悪い女で、お金を貢いでしまったこともあります。泣きながら告白しましたが、はぐらかされました。更には誰の子か分からない子を妊娠したからと偽装工作を手伝わされ、告白する度に傷ついてきました。2度目の傷が治りかけた頃、好きになった人ができて気持ちを伝えようとラブレターを書きましたが、ダメでした。告白にはあまりいい思い出がないです。でもいつか、好きな人とお互いを尊敬しあい、おばあさんになるまで一緒に居られたらと思います。

ROKUJOさんのこれから

ライターを目指していて、企画も始めました。「幸せなレズビアンカップルの長期追跡調査」です。レズビアンはなかなかメディアに出てこないし、女性差別、セクマイ差別と2つの辛さを抱えなくてはならない。その障害を乗り越えて一緒にいるカップルを描くことで「レズビアンの自分に幸せなんてこない」と思って孤独の中にいる人の希望になるのではないでしょうか。また問題をこう乗り越えたという参考を示すことで、将来設計の役に立つのではないかとも思います。私はせっかくレズビアンに生まれてきたから、そこを生かし、他のレズビアンが少しでも生きやすくなるお手伝いができたらと考えています。

2020年2月発行雨あがり4号「告白」掲載