
小説[不協和音]の作者である椿夜になさん。幼少期はマイノリティの人々に対してもオープンな海外で育ちましたが、帰国してからは日本の学校の男女区分や校則に窮屈さを感じたり、よそ者扱いを受けたりと、上手く言えないモヤモヤとした感情を抱くことがあったそうです。そういった経験を経て生まれた小説[不協和音]について伺いました。(※文庫化にあたり、[デスコード]から[不協和音]へと改題されました。
セクシュアリティについて
セクシュアリティの他、年齢や国籍も明言はしていません。この属性だからこうなんだとできるだけ思って欲しくないからです。それは小説を書くよりもずっと前、10代の頃からある想いで、必要以上に属性で分けられていることが不思議で仕方なかったです。例えば書店さんによっては、男性作家・女性作家と棚が分けられている場合もあります。でも、読者目線からも、この作家さんはこの性別で分類されたくないんじゃない?と思うことがあり、作家の性別で本を選びたくないので、自分自身も明言していません。
海外での暮らしを経て感じた日本の窮屈な部分
6歳から数年間、海外で育ちました。英語圏ではない所で、移民も多く、宗教も言語も様々でした。同性愛者の人々もいましたが、母が誰に対しても差別的な接し方はしない人だったので、同性愛者の人々も特別な人ではなく、その辺に当たり前にいる人でしたし、異性愛だけじゃないと子どもながらに理解していました。
その国でもエイズが問題で、エイズはゲイの病気、空気感染や少し触れただけでも感染するという誤解があった中、ゲイだけの病気じゃないし、血液で感染するものだからお喋りしたり一緒にご飯を食べたりすることは何も問題がないと学校や親から教わりました。
また、性別での決めつけもあまりなく育ちました。弟がいて、小さい頃はピンクが大好きな子で、「男がピンクなんて」と言ってくる人もいたけれど、親は男だから男らしくという考えはなく、好きな色は好きでいいし、服装も性別で決めなくていいから、成人式も紋付袴でも振袖でもスーツでも好きなものを着なさいという感じでした。
9歳で一旦帰国しましたが、日本の学校は性別での区分が明確で、制服やランドセルの色など、海外での学校との違いを感じました。海外でも制服はあったけど、宗教的な理由で制服のスカートは履けない子もいます。最低限の基準を守っていれば、あとは自分の宗教や習慣、体調に合わせてスカートでもズボンでも選択できました。だから日本に帰ってきてガッチリと決まっていたのは窮屈でした。
小説[不協和音]について
[デスコード/不協和音]が初めて書いた小説です。最初に生まれたのは4話と5話で、セクシュアリティやアイデンティティに悩むお話です。自分の体験したこと、見聞きしたことをベースにしていて、校則についてのエピソードはほぼ私の実体験です。私のいた日本の学校でも、癖毛や髪色が違う人は癖毛届が必要でしたし、下着の色や防寒具の指定もあり、気候に合わせてと教えている家庭科と校則が矛盾していると言ったら怒られました。
[不協和音]は半年弱で約10万文字を書き終えました。文芸社さんは持ち込み可能なので、ダメ元で送ってみたら本にしてみますかという流れになり、[不協和音]が誕生しました。お話の種はまだまだあるので、できれば続編も書きたいです。
私自身、言葉や文化の壁を幼少時に経験しましたが、日本に戻ってきてからも地方に住むことが多いので、コミュニティーに入れないこともありました。海外を含めて転々と育ったり、見た目が少し違ったりするので、あまり人の出入りがない地域の人からすれば異質な存在だったと思います。そこには居場所がないと感じていましたが、そういった経験から「はみだし者の皆様へ」というコンセプトで[不協和音]ができました。

[不協和音]誕生のきっかけにもなった音楽と、普段の遊牧民的生活
とあるバンドがきっかけです。ライブで聴いた曲の中にセクシュアリティやアイデンティティなどに関する曲も含まれていて、帰り道に浮かんだお話をそのまま書いてみようと思いました。公演中に続きを思いつくことも多いので、音楽、特にライブは小説を書く上で欠かせないです。
普段は仕事で出張だらけですが、幼い頃から移動が多いので、逆に一箇所にいる方が慣れていないかも。親も土地にこだわりがなくて、その時のライフスタイルに合わせて引っ越しています。だから定住する生活が想像できず、農耕民族じゃないよねと知人からは言われます。どちらかというと遊牧民的生活です。
最近の世の中に対して
LGBTに対してもだけれど、自分と関係のないことはないものにしがち。でも透明にしちゃ駄目なことってたくさんあります。なので、自分が当事者じゃないことでも、アライ的(当事者たちに寄り添い、支援する人)な立場でありたいです。
海外に移住した当初、車いすの人が街に多いと感じて、なんでこの国は車いすの人が多いの?と母に聞いたことがあります。母からは「日本にもいっぱいいるけれど、外に出にくいから会うチャンスがないだけ。なんで日本では出にくいんだと思う?」と問われました。そんな環境で育ったことが、見えないバリアに関して考えるベースになったと思います。[不協和音]の中には点字も出てくるのですが、答えは意図的に書いていません。ヒントは本文にも書いていますので、気になったら点字の読み方を調べてみてください。
大人になってからも国内外で転々としているので、外から見て改めて日本の良さに気づけることもあります。批判もしますが、日本が嫌いなわけではないです。日本もマイノリティに対すること、マジョリティ側から見えにくい問題を「ないこと」にせず、本当は見えているバリアを見ないふりするのをやめて、もっと直視できる世界になったら、より多くの人が住みやすくなると思います。
特に地方ではロールモデルが限られるし、いまだに女性は大学に行く必要がないという考えの人もいますが、その地方の「普通」に合わない人もいます。自分の普通が皆の普通だと決めつけないで欲しいです。私自身、マイノリティな面もありますが、マジョリティな面もあります。自分の不勉強で気づかない内に傷つけてしまっただろう人もいるし、数年経ってから気づくこともあります。だから、難しいけど自分もできる限り決めつけちゃ駄目だなと思っています。


椿夜さんから一言
[不協和音]は世の中に対するモヤモヤが種です。私はその種をお話にして消化するという方法に辿り着きましたが、今も悩みの真っ只中にいる方々に対して「ここにもいるよ」と狼煙をあげているような気持ちで書いています。世の中からモヤモヤがなくなることはないけど、誰かのモヤモヤを他人事にするのではなくて、一緒に解決していこうという社会にしていきたいです。自分は平気なことでも、他の人には大問題かもしれない。理解や納得ができなくても、まずは否定しないことはできると思うので。
文庫版は地方の本屋さんにも入荷されることが多いので、都市部だけでなく、日本中、世界中でモヤモヤしている方々に[不協和音]が届いたら嬉しいです。特に雨あがりの読者の皆様には似たような経験をしている方も多いと思うので、ぜひ読んでいただきたいです!

2021年2月発行雨あがり6号「透明」掲載