
「一般社団法人Marriage For All Japan」に参加し、同性婚が認められる社会になるよう活動されている司法書士のじょんさん。ゲイであることを隠さなければと思うあまり、人付き合いがうまくできなかった学生時代から、司法書士になり自分のやりたいことができるようになるまでのお話を伺いました。
セクシュアリティの自認から初のカミングアウトをするまで
中1の時に同級生の男の子を好きになったことで、ゲイであることを確信しました。告白できる訳もなく、ゲイであることを隠す日々が始まりました。セクシュアリティ的に人と違うということや、姉がいたのですが、姉は両親など、大人とうまく付き合っていて可愛がられているのに、私はそのようにうまくやることができず、親の愛情も姉ばかりに向かっており、自分は可愛がられていないという劣等感から人とうまく付き合えませんでした。
中2から不登校になり、中学を退学し引きこもりの生活。中学の籍がどこにもないので、中学を卒業できないことがわかり、高1の年齢の時から夜間中学に通い中学卒業の資格を取得。将来”普通”に働けるとは思えなかったし、宗教が好きだったので、宗教学者になれば生きていけるかもと仏教を学べる大学を受験しました。
中学~大学はカミングアウトはせず、ゲイという秘密を悟られてはいけないという想いで、人とうまくコミュニケーションをとれませんでした。合唱サークルで少し人と仲良くなれることを知りましたが、結局ゲイであることを知られたら嫌われると思い、人を信じられず。でもインカレの音楽団体に参加した時に出会った女性がいて、その人になんとなくの会話から自分がゲイということがバレてしまって。でもその人はああそうなんだ、くらいであっさり受け入れてくれたんですね。ゲイということを知られても仲良くいられたんです。それが初めてのカミングアウトですね。
フリーターから母親の死を経て、司法書士を目指す
大学に入ったころから、インターネットが普及し、掲示板や個人ホームページでゲイと知り合うようになりました。生まれて初めて会ったゲイが彼氏持ちの遊び人で、散々でした。二丁目も怖くて行けませんでした。世の中にいい人も悪い人もいると理解して、うまく友達を作れればよかったのにと今は思います。大学卒業後は院にいきたいと漠然と思っていましたが、その準備もしておらず、当然就活もうまくいかずフリーターになりました。
人とうまくコミュニケーションできないことは、大学卒業後も変わりませんでした。働いていても、職場でうまく行かず、短期間でやめることを繰り返していました。でも2008年に母親が病気になり、ごく短期間で死亡し衝撃を受けました。そこから、人の人生は有限で、死ぬときに後悔しないように、やりたいことをやって生きようと思い、司法書士の勉強をし、2年後に合格しました。司法書士として様々な活動を行ううち、信頼できる人たちと出会い、世の中には善良な人たちがいるのだなと知ることができたんです。

LGBTにまつわる活動を始めたきっかけ
2013年に加入したLGBT支援法律家ネットワークが、レインボーマーチ札幌の前日にセクシュアルマイノリティあるある法律ネタのトークショーを行うとのことで、自分も誘われて参加しました。そして次の日に皆と一緒にパレードを歩いたんです。これまで東京のパレードを見たことはありましたが、歩くなんてとんでもない!という感じで。でもこの時皆と歩けて本当に嬉しかったです。この頃からセクシュアルマイノリティにまつわる活動を始めました。
その後は勉強会に出たり、イベントを手伝っていましたが、司法書士たちにはゲイであることを秘密にしていました。しかしセクシュアルマイノリティについて様々なところで動きが出てきた頃で、司法書士の社会的に発信できる力と融合しなければならないと思うようになりました。なのでゲイということは言わずアライ(セクシュアルマイノリティを理解·支援する人たち)のように東京司法書士会の総会で質疑したり、日本司法書士会連合会の代議員になり、司法書士はセクシュアルマイノリティについて取り組むことを具体的に検討するというような決議を通過させるなどしました。
カミングアウトをしていなかったのはゲイであることを言う必要があるかな、と思っていましたし、当事者が活動の必要性を言うより、アライが言って客観性があった方が良いという点もありました。
しかし最近はカミングアウトをしています。自分が当事者だと言っても、司法書士たちにはもう意義は伝わっているかなと思っています。
趣味の海外旅行で感じた日本との違い
趣味で海外のレインボーパレードによく行っています。台湾·韓国·香港·シドニー·NYなどの様々な地域のパレードに参加しました。シドニーのパレードは人数だとか特にすごかったですし、韓国のパレードはキリスト教の人の反対が激しかったりと国によって色々ですね。アジアでは特に台湾に行くことが多いです。日本と台湾の違いは、日本の20~40代は政治に対して冷ややか。活動している人は権利主張が強く、自分とは違う人たちというように思っている感じがします。台湾の人たちはセクシュアルマイノリティに関してだけでなく、政治への関心が強い。政治的主張を冷ややかにならずみんなでやっている。そういったところは学ぶところかなと思います。
「マリフォー」に参加し、同性婚が認められる日本を目指す
マリフォーは「一般社団法人MaLiageForAllJaDan 結婚の自由をすべての人に」の略称で、性のあり方に関わらず、誰もが結婚するかしないかを目由に選択できる社会の実現を目指して活動しています。母体はLGBT支援法律家ネットワーク。ある時にLGBT支援法律家ネットワークの弁護士の有志で同性婚人権救済弁護団をやろうとなり、申し立てをしました。
結局2~3年たっても結論が出ず、もう待てないとなった弁護士で同性婚訴訟を始めました。今日本の各自治体で徐々に始まったパートナーシップ制度では、男女間の結婚で得られる権利と同等ではありません。パートナに財産を残したり、病気やケガをしてしまった時にも家族として傍にいられたり、国際カップルが日本にいられる権利を貰えたり、そういった当たり前のことができるようになる為には同性婚が必要になってきます。
同性カップルが結婚できないことは「憲法上の人権が侵害されている」と裁判所に出してもらう為の訴訟を弁護団が、マリフォーはその手伝いを行っています。弁護団は訴訟をやり、マリフォーはそれ以外の裁判の支援や応援、各種イベントなどを、二本立てで行っています。また裁判で勝つだけでなく、政治家が立法によって考え方を変えてくれるようにも働きかけています。


じょんさんの考える「未来」
自分が当事者だからということは関係なく、同性婚が認められない理由はないなと思います。ただ一部の人から反対は出ています。キリスト教や保守派の人たちもいれば、当事者の方たちも。効果のないパートナシップを勧め、お金目当てで契約書を作っているという批判や、父二人·母二人は子供にどういう影響を与えるかわからないから賛成できないだとか。あとは同性愛者は、いろんな人とセックスしてしまうから結婚に向いていないだとか、よく分からない批判までもあります。
結婚が認められるようになっても、同性愛者が必ず結婚をしなくてはいけない社会になる訳ではなく結婚をする·しないの選択肢が増え、幸せになる人が増えるだけ。反対しないでほしいなと思います。同性婚が認められ、セクシュアルマイノリティであることがいずれ、血液型がA型でも〇型でもそうなんだと言われるように、何でもないことになるといいですね。

2020年8月発行雨あがり5号「未来」掲載