雨あがり

「今に見ておれ」の精神ではねのけてきた、まわりからの否定【陽介さん】

人との出会いや様々な経験を経て、幼い頃からの目標であった東京藝大の声楽科に入学した河野陽介さん。現在は音楽のお仕事以外にも、イベント企画やラジオパーソナリティ、学校や行政での講演など、多方面で活躍されています。幼少期の経験から、LGBT団体を設立するきっかけなど、たくさんお伺いいたしました。もっと陽介さんの活躍を知りたい方は、ぜひXもご覧くださいませ。

「今に見ておれ」の精神ではねのけてきた、まわりからの否定

茨城の片田舎に生まれたぼくにとって、「人生のはじまり」はあまり良いものではなかったかも知れないです。今思えばジェンダーバイアスで雁字搦めの環境で、幼少期から10代までを過ごしたように思います。音大卒の母や着物の仕立てをしていた祖母の影響もあってか、好むものは音楽や芸術で、「オカマ」「ホモ」といじられ、好きなことを好きということ、夢を語ることさえ時には受難でした。
ある日、子供なりに真剣に「東京藝大に行きたい」と音楽の先生に伝えましたが、「あなたなんかが藝大に行けるわけない」と言われ、とても落ち込みました。でもどんなに否定されても好きなものは好きで、「今に見ておれ」の精神でストレスを起爆剤にやってきたように思います。そしてどんな時も人との出会いや出来ごとによって、新たなはじまりが紡がれて今があるのだなと感じています。

同級生との出会い、アウティング、鬱を経て東京藝大へ入学

中学卒業後は千葉の高校へ。そこでバイセクシュアルやトランスジェンダーの同級生との出会いがあり、その子たちの存在には救われました。高校時代は合唱部に明け暮れ、お世話になった先生との出会いは今の音楽活動の礎となりました。
その後私立音大に進学するも、そこでいわゆる「アウティング」に悩まされ、悪性リンパ腫を患っていた父の晩年とも重なり、心に不調を来してしまいました。そこから一念発起し東京藝大の声楽科を受け直し、この間に出会った人たちとのご縁は今でも続き、療養中にSNSで繋がった人たちや、そこで得た知識や情報にも救われました。

学業のかたわらゲイライフも充実!?

藝大時代は勉学に励みつつ、ひっそりゲイライフも充実させていました。学業のかたわら、飲み会オフを次々に企画。これが今も続けている「ぐーたん東京」。よくある飲み会は、大人数だったり、お酒をえらく嗜まれる方もいて気後れすることが多かったので、ぐーたんは少人数でご飯が美味しいところにこだわりました。セクシュアリティも年齢も限定せず、気軽にご飯に行ける友達を作るというコンセプトが良かったのか、参加者は増えていきました。Twitterでフォロワーが増えていくのにワクワクしたのもよく覚えています。ここで繋がった人たちには今でも支えてもらっているし、この活動がなかったら今の自分のLGBT活動はここまで大々的になっていなかったかも知れません。仲良くなった子たちと「大学生ナイト」という若者向けクラブイベントを企画したのも懐かしいです。

様々な出来事を経て、地元神栖市でLGBT団体を設立

ちょうど学部卒業のタイミングで東日本大震災が起き、地元茨城も被災。安全と衣食住が保障されて初めて、音楽や芸術、娯楽が成立するということを目の当たりにしました。20歳で父の死を経験したこともあり、自分の死生観がよりハッキリしたものになり、音楽で食べていく腹をくくるきっかけにもなりました。 その後は大学院へ進学し、ぐーたんも継続していく中で「LGBT」という言葉と出会い、そういった言葉でもって人権を訴えたり啓発活動ができ得るのだということを知りました。
そんな中、地元神栖市で高校生同士のトラブルがあり、その内容からLGBTにまつわるものだと確信。でも何もする術がなくただ無力感を抱えたまま、以来、ぼくが10代の頃に生きづらさを感じていたように、そう感じているであろう今の子たちに何かできることはないかと考えるようになりました。自分は都内で楽しく過ごしているのに、地元では何もやれていないことを意識するようになったんです。
モヤモヤしながら過ごしていたそんなある日、渋谷区同性パートナーシップ条例に係る区議会傍聴の機会に巡り合わせました。条例議決の歴史的瞬間に立ち会えたことは鳥肌モノで、その後の祝賀パーティにも勢いで出席。報道陣も駆けつけ、顔出しでインタビューに答えるとその日のうちにニュースで映像が流れ、日本全国にオートマティカリーにフルカミングアウト。その時には既に家族にもカミングアウトしていて、もう何も怖くない、と勢いでLGBT団体を設立。それが「多様な性を考える会 にじいろ神栖」。田舎でこんな団体を作って何になるのか、誰が参加するのかと躊躇いもありましたが、Twitterアカウントを作ると県内各地から反響がありました。ぐーたんと一緒じゃん、もっと早く始めれば良かった、と後悔しました。
それからはフリーランスという働き方もあり、イベント企画やラジオパーソナリティなど色々なことに挑戦する機会が増え、色々な人から声をかけてもらえるようになりました。活動を新聞やニュースに取り上げていただくうちに、地元を中心に学校や行政関係の方からの講演依頼も増えてきました。

最後に一言

LGBTだけでなく、マイノリティであればあるほど、同じような境遇の当事者や理解してくれる人に出会える確率は低いかも知れません。でも、ぼくの場合は人より時間がかかったり遠回りしながらも、これまでの活動を通して仲間と呼べる人とたくさん知り合えました。 ぼくは昔からセーラームーンとドラゴンクエストが好きで、大人になった今、月の光に導かれセーラー戦士が集っていくような、旅の途中で新しい仲間と出会ってパーティが増えていくような、そんな出会いに日々心躍らせています。
匿名性の強いSNSなど、使い方さえ上手くやればマイノリティな人にとって素晴らしいツールはたくさんあります。色々な生き方がある中で、ぼくのことをちょっと真似たいと感じてもらえたりしたら嬉しいです。雨あがりさんとの出会いから、新たな「はじまり」が、きっとまた始まっていくのでしょう。

2018年発行雨あがり創刊号「はじまり」掲載