
性同一性障害という言葉を知ったことで、治療により本来の体を取り戻すことができた浅沼さん。それでも男性も恋愛対象であることから、周りの理解を得ることに苦労されました。現在は看護師の浅沼さん。医療に携わる側からのお話を伺いました。
浅沼さんのセクシュアリティについて
幼少期から女性の体であることに違和感はありましたが、性的指向は両性(バイセクシュアル)。だから自分が何者なのか気づくのが遅かった。でも大人になるにつれて胸が膨らんだり、生理が苦痛でした。性同一性障害という言葉を知ったのは高校の時。特例法があり、戸籍も変更できる。それが生きる希望になりました。 早く治療がしたかったのですが、その時は親の理解がなく同意が得られなかった為、20歳まで我慢し治療に進みました。治療で本来の自分の体になっていくことが嬉しかったですね。でも男性も恋愛対象であるということはなかなか言えませんでした。「なんでヘテロ(異性愛)じゃないの?」「男性の体に変える必要ある?」と言われることもあったからです。その時に同性愛者もいるよ。性自認と性的指向は異なるからと言いますがなかなか理解されないです。
西日本豪雨で感じた災害時の壁
地方ではLGBTをテレビで見たことはあっても、実際に接したことはないから接し方がわからないということを地元の講演に行った際に言われることがあります。
両親へは18歳でカミングアウトしました。けれど理解は得られなかったので、病院で性同一性障害について説明をしてもらいました。しかし結果は同じで、お前は女だ、女性に戻りなさい、実家にはしばらく戻るな、周囲には秘密に、と言われました。ただ自分が活動を始め、またメディア等でLGBTという言葉が知れ渡り、親自身も変わらなければと、少しずつ理解してくれるようになりました。
2018年は西日本豪雨と地区内のアルミ工場が爆発し、実家が巻き込まれ、家に住めなくなったこともありました。手伝いに行きましたが、県外に行っていた為地元の人にはカミングアウトをしていない状況。なのでそこで地元の人に公開カミングアウトになってしまったり。陰で言う人もいれば、「あなたはどっち?」「ここの子は女性だったと思うけど、どこに行ったの?」と直接聞かれることも。そこで説明はしますが高齢の方はなかなか理解までは難しいことが多い。男性になったと言っても、幼少期を知っている近所の方、親戚の方には、自分は女性のままで、受け入れられないことが多かったです。
避難所生活もしていましたが、仕切りがないところで近所の方と生活した時、周りの目を気にしながら生活しました。性別で分けられた支援物資を取ることに躊躇したり、集団での入浴にも嫌悪感がありました。災害時に当たる壁を感じましたね。
仕事探しの困難を経て看護師の道へ
社会は決して優しくない。望む性で働きたければ自分で開拓せねばならない。面接時に事例がないから、対応がわからないから落とします、と言われたり。面接も興味本位で性自認について聞くだけで不採用のこともありました。仕事探しはかなり苦労をしました。
元々は警察官志望でしたが、警察官は男女別に身長制限や体力検査がありアウト。それで警察官は断念しました。看護師を選んだのは、資格があれば安定した生活ができると思ったからです。それに親の老後の心配もあったので。看護師はとてもやりがいがあります。以前は救急救命にいて、同性パートナーがいる患者も来ました。面会、手術の同意書や病状の説明で同性パートナーは除外されていました。
僕自身外来受診の際、問診票に既往歴で子宮卵巣摘出と書いたら、「あなたは男性だから子宮卵巣はない!」と看護師に言われました。見た目と戸籍上の性別が違うことで本人確認をされたことも。誤診や誤認を防ぐことは医療機関にとって必要なことですが、医療現場でLGBTの人達が直面する問題も少なくなく、受診や入院を躊躇う人もいます。 また僕は同僚に性自認のことをばらされたこともあって。その時は活動もしていなかったのにいつの間にか職場中に広まり、患者さんまでも知っていて。それがトリガーにもなり、うつ病になってしまい職場を変えました。
患者さんの守秘義務は守れても、同じ同僚の守秘義務は守れない。まだ医療現場は多様性への理解やサポートがされていないと感じて悲しいです。医療機関は本来誰でも安心して行ける場所のはずですが、医療従事者側の理解がないために差別や偏見を受けて辛い思いをしたり、受診を躊躇う当事者の声を聞いたりします。
浅沼さんの行っている活動について
最初は反発の声も多かったです。何故戸籍を変更したのに、表立って活動するのか?自分たち(戸籍変更をしたトランスジェンダー)は埋没して生活しているのに周囲にバレ てしまうと。ただ誰かがロールモデルになっていかないと、次世代の子たちが同じように悩む。自分自身の体験や、看護師という強みもあり立ち上がりました。今行っている活動は「カラフル@はーと(http://lgbtcath.com/)」という団体でセクシュアルマイノリティで、さらに発達障害、精神障害、依存症など複合的な問題を抱えているの人達の居場所づくりをしています。
ダブルマイノリティの人は当事者間でも差別されたり、孤立しやすく、自殺リスクも高い。でも同じような境遇をもつ仲間と繋がることによって、自分のいきがいや、居場所を見つけられればいいと思います。 また新宿二丁目のコミュニティーセンターakta(http://akta.jp/)でHIVの啓発活動も行っています。HIVは早期発見が大切で、遅くなれば重症化しやすい。けれどどこで情報を得ればいいかわからない。誰かが発信をして伝えていかなければと思います。
浅沼さんの望むこと
医療機関が誰も除外されることのない、安全安心な場所になってほしいです。実際まだ医療機関では同性パートナーを家族として認めなかったり、トランスジェンダーに対して個別性のない対応をしているところもあると聞きます。どこに行っても当事者たちが安心して受診・入院できるようになってほしいです。またダブルマイノリティの人たちの問題に関わり、そういった人々の可視化もまだされていないと感じています。メディアに出ているLGBTの方はある程度の地位があり、社会的に自立している人が多い。その反面で当事者の中には複合的な問題を抱え居場所がなく、孤立しやすい方がいることも知ってほしいと思います。
浅沼さんにとっての「つながり」
僕をつなぐものは今活動している団体のスタッフや仲間たちみんな。そういう人たちと繋がることで今の自分がいる。
原動力となり頑張っていられる。 もし一人で何かをしようとしても、心が折れるときもあります。活動をやめようと思うこともあります。社会の受け入れはそこまであたたかくない。その中で一緒の方向を目指していける仲間がいることが大きいです。

2019年2月発行雨あがり2号「繋がり」掲載